会社組織に頼らない複数の所得を生み出す
バブル世代が企業組織の非情さを知る
ボクの社会人生活は外資系化学会社からスタートしました。大学院で医科学を専攻(専門は放射線生物学)したこともあって、病院の臨床検査向けの医療機器と試薬を扱う臨床機器事業部で技術営業をやっていました。社会人になりたての頃は仕事を覚えることが直接スキルアップに繋がっていて結構真剣に夢中になっていました。なんせ当事はバブルの余韻の中、時任三郎がリゲインのコマーシャルで「♪24時間たたか〜えまっすかっ?」なんて歌っていた時代ですから。
そんな元気な時代の入社から7年後、事業部がグローバルで分離されライバル会社に吸収合併されました。それまでは会社の中だけでのキャリアップしか考えていなかった自分にとって、いきなり優秀な上司がクビになったり、人事制度が変わったりと、会社組織の非常さと理不尽さを味わうことになります。個人の成果が組織の成果に繋がり、ゆくゆく自分の評価に戻ってくると信じていた昭和の愚かさを30代で気付かされたわけです。組織で働くことは楽しいし大きな影響力がありますが、会社という組織だけに生計を委ねてはいけないと感じた瞬間でした。
複数のお財布を作るために
その後、やはり外資系の学術出版社に転職して、何だかんだ言っても引き続き大きな組織の中で働いてきたわけですが、組織に依存しない、もっと具体的に言えば給与以外の第二収入を確保したいと常に考えていました。今でこそ週末起業や副業などが当たり前になっていますが、当時は副業なんて就業規則で禁止されていた時代です。
考えていたのは、①会社の就業規則に抵触しないこと、②本業と利害関係が無いこと、③時間的制約が少ないこと(土日にできること)が条件でした。IT関係の技術があればプチ起業なんて道もあったんでしょうが如何せんそんな知識もないし、専門のバイオ関連なんかは一人で副業としてやるにはちょっと巨大過ぎる。そこで選択肢に残ったのが「不動産経営」と、趣味で学生の時からハマっていた「写真撮影」でした。
門外漢が不動産という世界に飛び込む
まず、不動産経営を始める前に不動産のことなんか全く知識がないので、宅建士(当事は宅地建物取扱主任者と呼ばれていた)の勉強してインプット開始。ガチ理科系人間には難しいだろうと思ったのですが、法令の問題に出てくる連中が悪徳過ぎて、世の中にはこんな悪い奴らがいるのかと、逆に面白くて勉強は少しも苦になりませんでしたね。死んでいた記憶細胞に久しぶりにハッパをかけて、短期間に詰め込んだおかげでなんと一発合格。目的はそこじゃないんだけどすんごい嬉しかった。世の中には知識無しにアパートやマンション経営始めて、年収何千万というツワモノも沢山いるけど、ボクみたいな門外漢の小心者はやっぱり基礎的な業界知識がないと不安で大金投資なんかできない。もちろん知識とビジネスの成功は別だけど勉強はやっぱり大事。
合格から10年以上かけてゆっくりとアパート経営を始めて、現在経費を差し引いても最低限食べていける額は毎月出せるようになりました。これが女房説得のスタートライン。アパート経営の経験だけでも本一冊書けるくらい色々あるんですが、アパート経営にはやはり信頼できる業者の協力が絶対に必要です。何でも一人でやろうとせず、任せるところは本当のプロに任せる。安心して任せるためにも身に付けた基礎知識はとても役に立ちます。アパート経営とは全く関係なくやっていたのが写真撮影でしたが、それはまた次回に。